市川透 未来への視座-陶芸家・市川透インタビュー(前編)
陶芸の新たな未来を切り開こうとする市川透。
大地のエネルギーを感じさせる雄々しいフォルム、鮮やかな釉薬を施した色面、
野生とラグジュアリーが融合した作品は、独特の存在感を示している。
特徴的なのは、マグマが地表に姿を見せる瞬間を捉えたかのような表現。
それはまるで、市川自身が既存のすべて――ジャンル、境界、あらゆる常識を、
その熱情をもって融解してゆくさまを体現しているようだ。
彼が見つめつづけているものは何か。
修業時代のエピソードから将来の展望まで、陶芸家・市川透の原点と未来に迫る。
その他写真:石上洋、砂川俊夫
聞き手:吉田清一郎
構成・文:高橋明子
PROFILE
市川透(陶芸家) 1973年、東京都生まれ。陶芸家・隠﨑隆一氏に師事。2015年、岡山県にて独立。備前焼の概念を覆す作品を多数発表。色鮮やかでラグジュアリーな作品は、圧倒的な存在感を放つ。国内外のギャラリーや百貨店にて個展を開催、多数のアートフェアにも出品している。
自分の可能性を信じて陶芸の世界へ

――市川さんが陶芸と出会い、本格的に修業をはじめられたのは30代半ばでしたね。陶芸家を志されたエピソードと、数いる陶芸家の中から、隠﨑隆一先生(※1)に師事された経緯をお聞かせいただけますか。
市川 きっかけは、陶芸教室に行ったことでした。そこは備前焼(※2)だったのですが、初めて触れた土の滑らかな質感に、言葉では言い表せないものを感じたのです。自分がやりたいことはこれだ!と、ずっと探していたものに出会ったような感覚でした。
すぐに陶芸を生業としたいと思うようになり、そのためにまず、自分で勉強するんですよ。歴史、制作の工程や技法、どんな作家がいるのか。そんな中、隠﨑先生の作品を拝見したとき、ものすごい衝撃を受けたんです。まるで、胸ぐらを掴まれて、ぐっと強く引き寄せられたような感じですね。
「この彫刻的な作品、どうやって作っているんだろう」と、夢中で作品を見ていくうちに、どんどん興味が深まっていって、どうせ陶芸をやるのだったら、本気で隠﨑先生から学ばなくてはいけないと。
――隠﨑先生のアート性の高さに惹かれたということですね。
市川 ええ。まずはお会いしたいと思いまして、ご自宅に伺いました。断られたら終わりだと思ったので、アポなしで(笑)。後から聞いたのですが、先生のところは普通、一見さんお断りなのです。だから僕の作戦勝ちというか。きっと熱意が伝わったんだと思いますが、20分くらい待った後に会っていただけたのです。そこから、2時間くらい先生の作品についてお話を伺いました。さすがにいきなり弟子にしてくださいとは言えませんでしたから、その後半年くらいで3回くらい作品を見せていただきに伺ったあと、申し出たのです。先生は「なんとなく、君がそういう意思を持ってきているっていうのはわかっていたよ。」とおっしゃってくださって。
――そこから修業がスタートするわけですね。30代半ばでの決断はかなり思い切ったことだと思いますが。
市川 だいたいみなさん10代のうちに専門的に学び始めるんですよね。だから、考えられないくらい遅いわけです。僕の前に入っていた先生の弟子2人も20代でした。けれど先生ご自身がそういう常識にとらわれない方だったので、年齢ではなくて情熱を感じ取ってくださったのです。
それから、毎日は充実していましたけれど、生活は一変しました。先生のご自宅付近の古民家を家賃2000円で借りたのですが、そこは換気扇も壊れている、冷房も暖房もないようなところ。冬は寒いのを、夏は暑いのを我慢して3年半です。けれど、正直、そこまで気にならなかった。なぜなら、毎晩夜中の2時くらいに帰宅して、4時間ほど睡眠したら、もう翌朝すぐに工房に行く日々でしたからね。日中も、お昼をさっと食べたらすぐに、夜の練習用の土を30~40キロ捏ねる。夜は8時くらいに弟子としての仕事が終わるので、それから深夜まで自主練習、という感じで、ほとんど休みの時間はありませんでした。
――いつまでこんな生活が続くのだろう、という気持ちになりませんでしたか?

市川 それはなかったな。どちらかというと、希望に満ちていました。僕はこれで絶対に食べていけるという根拠のない自信があったし、言い換えればそれは自分の可能性を信じていたということですね。
僕は修業時代から「こういう作品をつくりたい」というビジョンが明確にあったので、当時はその研究に夢中になっていました。隠﨑先生のあの彫刻的なフォルムの作品を間近で見ながら、僕もあんなアート性の高い造形を作りたいと思っていましたし、それに加えて、色彩も鮮やかなものを作りたいと考えていました。備前のしっとりした土肌の感じも好きだったのですが、自分がつくりたいものとは少し違ったのです。
常識にとらわれない自由な表現を

――市川さんの作品というと、備前の土を使いつつも、従来の備前焼になかった表現も取り入れていらっしゃいますね。複雑で豊かな色彩が特徴的ですが、これは修業時代から研究を続けてこられた成果だったのですね。
市川 そうですね。当時からテストピースを作っては、窯に入れるタイミングで「先生、これも一緒に入れさせてください」とお願いして、実験を繰り返していました。今でもテストピースの数はすごいですよ。
意外に思われるかもしれませんが、陶芸においても表現できる色彩の幅は広いのです。たとえば「白」という色にしても、透明感のあるもの、乳白色のものなどと多様ですから、作品によって使い分けるんです。これが面白いもので、当然狙って「この色」とするときもあれば、偶然に美しい色合いに仕上がることもあったり。
たまにね、弟子が失敗するんです。この温度、この調合でと伝えても、全然違うことをやってしまうときがある。繊細なもので、1%調合が違うだけで全く違う色になりますからね。けれど窯から開けたときに、それがすごくきれいだったりして。そういうときは、よく失敗したなって、弟子を褒めるんですよ(笑)。


――そういう意味でいうと、B-OWNDに出品していただいている「七曜」のシリーズは、ひとつの集大成といえる作品ではないでしょうか。
市川 B-OWND自体がたくさんの可能性を秘めた新しい試みですから、普通の作品ではだめだと思ったんです。なにか特別な思いを込めたいと考え、悩みながら出した答えが、七つの天体をひとつの作品の中で表すことでした。木火土金水、そして日と月。それらすべてを作品に込めたら面白いものができるのではないかと。普通、釉薬はだいたい2種類ほどしか使わないので、七種類もの釉薬を美しい色彩で仕上げるのは、通常よりもかなり難しく、また多くの工程が必要でした。けれど、やってよかった。これまでにないものが出来上がったと思っています。
この記事でご紹介した作品
WORDS
※1 隠﨑隆一(陶芸家) 1950年、長崎県生まれ。大阪芸術大学を卒業後、デザイン事務所への勤務を経て、陶芸家としての活動を始める。素材、造形など、従来の備前の様式にとらわれない作品を制作している。数十種類の土をブレンドした「混淆土」などによる多様な土肌の表現、彫刻的な造形といった、個性的な作風が特徴。 ※2 備前焼 一般に、作品は釉薬をかけずに焼かれ、窯の中で起こるさまざまな変化によって生じる土肌の景色を味わう。